摘要
1905年に?第二次日韓協約?により大韓帝国①には日本の統監府が設置され、1910年までの五年間、植民地教育政策が本格化された(朴貞蘭2013:41)。甲午改革以降教育改革の主体となった学部にも学政参与官、学部書記官として日本人が政府入り、教育政策を推進してきた。大韓帝国(18971910)の漢文教育が国語の成立にともなって次第にその地位を低下させたが、統監府設置の期間に近代学校制度の中で漢文科が最初に成立しており、その教科に必要な教科書が国家レベルだけでなく民間でも活発に編纂されている。