摘要
平安中期以降、公私の詩宴では漢字五文字から成る句題によって七言律詩を賦することが慣例化した。この現象が生じた要因としては、村上朝から一条朝にかけての時期に句題詩の構成方法が確立し、誰もが詩を作ることのできる環境が整えられたことが挙げられる。句題詩の構成方法とは、首聯で句題の五文字を用いて題意を表現し、頷聯·頸聯で句題の文字を用いずに題意を敷衍し、尾聯で句題に関連づけて自らの思いを示すという日本独自のものである。本稿では、この構成方法の起源を探り、その萌芽が唐代の省試詩に見られることを具体例に即して指摘した。
出处
《日语学习与研究》
2009年第2期51-57,共7页
Journal of Japanese Language Study and Research