摘要
忠こそ物語は継子いじめ譚である。今までの先行研究では、好色の継母が継子の忠こそに示した愛欲が拒まれたことによって継子いじめ譚が発足したという発想が仏教におけるクナラ太子譚によるとされているが、日本古典文学に数少なく入っている好色の老女が年若い美男子に対する愛欲、老女の「恥」と美男子の「情け」、情けなしの男に対する老女の怨みなどという要素からみれば、必ずしもクナラ太子譚に基づいているとは言えない。また、虐めの手段として讒言が使われていることから『孝子伝』における伯奇譚が主に参考されていたとされているが、伯奇譚にいろんな演義があり、敦煌出土の舜譚などの継子いじめ譚も無視すべきではないと思う。