摘要
本論は「見ることはすなわち見られること」、「他者を言うことはすなわち自分を言うこと」という他者認識の視点において、近代中国の有名な知日家である戴季陶の武士道認識について考察するものである。戴季陶が日本の武士道を言及する際、決して一方的に武士道を感じ取るのではなく、近代中国の現実的な課題をずっと念頭に置いていた。その武士道論は、まさしく各時期における戴季陶の問題意識や政治理想の一側面を投影した恰好の産物である。こうした戴季陶の武士道論を通して、一方において、近代中国という外部の視座を入れた日本武士道のイメージの一端を提示したい。他方において、辛亥革命時期から国民革命時期までの戴季陶の対日観の変遷及び政治思想の転換を明らかにしたい。