摘要
裴世清が倭国に使者として派遣されたことは、中日文化交流史における重大な事件であるが、『隋書·倭国伝』の中には、相当奇怪かつ長期にわたり合理的に解釈できないでいる問題が存在している。日本史上では、当時の倭王は推古天皇である。推古天皇は女帝であり、裴世清は倭王と面会しているが、倭王が女性であるなら、非常に重要な外交情報であるにも関わらず、『倭国伝』には、一切言及がない。本論では、裴世清出使の具体的な儀礼の考察から始め、推古朝の礼制改革によって倭王の絶対的権威が強化され、裴世清の出使において、倭王との会見の機会はまったくなかったことを提示する。とするならば、『倭国伝』の裴世清と倭王の面会の場面は、裴世清が捏造した可能性がある。
基金
辽宁大学亚洲研究中心青年项目(Y201414)